2014年8月12日 (火)

井の頭池

 井頭池(江戸名所図会) 

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ここは古代から人が住んでいた場所で、御殿山遺跡が残されている。かっては7ヶ所の湧泉があり、七井の池ともいわれ、江戸初期に開かれた神田上水の水源になっていた。大正2年に東京市に下賜され、同6年、井の頭恩賜公園となった。


 

《井の頭池》 

11噴水の向こうが弁財天。   
「井の頭」の名称は将軍家光が辛夷(こぶし)の木に井頭と刻んだことによるとの故事を刻んだ碑がある。


《井の頭弁財天》

14井の頭弁財天は、縁起によると天慶年間(938~946)の創建と伝えられるが、後に焼失した弁財天は家光の命により寛永13年(1636)に再建されたという。神田上水源の水神であり、音楽や芸能の守護神である弁財天は江戸町人に盛んに信仰された。   






《お茶の水》
 

12徳川家康がこの湧水でお茶を点てお茶の水と名付けた。しかしながら、この水脈は1955年頃に枯渇し、現在はポンプアップによって導水している。   

 



《水門橋》

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井の頭池から注ぎだした神田川にかかる最初の橋である。すぐ下流に「神田川源流」の看板が立っている。


《井の頭池付近の略図》

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2014年7月30日 (水)

江戸名所図会

江戸名所図会とは

 

『江戸名所図会』は神田雉子町(きじちょう)の名主の斎藤幸雄・幸孝・幸成(号は月岑げっしん)の親子三代が40年かかりで天保7年(1836)に出版した江戸の地誌です。1,040ヶ所紹介されており、うち、絵があるものは670枚となっています。絵は唐津藩小笠原家の御用絵師でもあった長谷川雪旦(せったん)が描いています。 

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上の写真は江戸時代後期に発売された原本で、全7巻20冊となっています。

江戸名所図会の原画は白黒で描かれていますが、この「神田川と日本橋の今と昔を歩く」では彩色したものを使用しています。 

 

 

斎藤月岑居宅跡

斉藤家居宅は現在の外堀通りの司町2丁目にあった。(外濠通りの淡路町交差点を南へ100mの所)   
斉藤月岑は文化元年(1804)にこの地で生まれ、明治11年(1878)に亡くなっている。 

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《斉藤家居宅跡》 

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《外堀通り沿いに設置されている石碑》

 

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2014年7月27日 (日)

神田川と神田上水

神田川

神田川は井の頭池を源として三鷹市・杉並区・中野区・豊島区・新宿区・文京区・千代田区・台東区を流れ、隅田川に注ぐ、全長24.6kmの歴史的に由緒ある川である。

現在の神田川は、江戸時代迄は神田上水の一部で、その呼称を上流部は神田上水、中流部は江戸川、下流部は神田川と呼んでいたが、昭和40年に井の頭池~河口までを「神田川」と呼称を統一した。 

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                         《井の頭池》
        神田川水源の「井の頭池」の俯瞰。奥方向が東側で神田川の源流地点がある。

 

神田上水

徳川家康が天正18年(1590)江戸に入府した時、井戸水は塩分が多く飲料水に適さなかったため家臣の大久保藤五郎忠行に上水の開設を命じた。藤五郎は3ヶ月の短期間で江戸市中への上水を完成し、この功績により家康から「主水」(濁らずに「もんと」)の名を賜った。 

神田上水の創設者として内田六次郎とする説もある。六次郎は武蔵国玉川出身で神田上水の開s削に携わったとされ、普請を終えると水元役の役名と屋敷を賜ったという。 

102_2                            江戸名所図会《大久保主水屋敷の井戸》

 

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   《屋敷跡のビルのシャッターに描かれた絵》                  神田今川橋の近くに屋敷があった。

                                                                                            (今川橋交差点の山梨中央銀行裏)

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